KEK内外の旧跡
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   KEK まわりの旧跡地図
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古 墳  水守桜塚古 墳 山木古墳 八 幡塚古墳 new!
     八幡塚円墳  new!   大曽根松原古 墳群
     佐古墳群  玉取一ノ矢古墳群 前野大日塚
板碑  
板 碑  ザクマタ   大 曽根大日塚古墳 庚 申塔
城跡    水守城 多気城 小田城 若森城 大穂城
     花畑 城 大曽根城
 旗本堀田氏陣屋 敷 若森県庁
字名の変遷  小野小町 の墓    塩田遺跡  new ! 田中の引き松  new!
    
八幡神社  new!  富士山  new!  明神池 new!
民家    大 塚家住宅   椎名家住宅 木 造君島橋 new !    
丸木舟 牛久 沼   小貝川   大宝沼                
巨木
  下横場の大グミ  地蔵ケヤキ   出島のシイ
グラマ ン不 時着地(1945年) 丸い 郵便ポスト
地図  1884年地図 1921年  
1950 年 1969年   
写真  1947年航空写真    1947年 飛行場   1970年
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1971年  1975年 小田城跡航空 写真 2002 年 
処刑場跡地   KEK地 下水位   高圧鉄塔
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里程標 石(1913年)   水神社跡地
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おまけ  一等水準点   四 等三角点
  一等三角 点 
      電 子基準点  距離標    VICS beacon
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阿見VOR  new!
参 照資料


水守城
  
KEK北 1 km
   水守城本丸跡は現在、田水山(たみやま)小学校校庭に なっ ている。
  将門記に記されている水守営所( 936 年)というのはここであるといわれている。
  
将門の叔父平良正がここに館を築き、のち将門の従 兄弟の平貞盛の養子維幹(これもと)
  水守大夫と 称されここに住み着く。その後
幹は北条に多気 城を築いて移ったため、
  当城は廃城となる。 
                     筑波町史
    水守城跡地の
田水山小学校の田水山という地名は、田中村、水守村、山木村の3村が
  合併してその1文字づつとって
田水山村ができ、その名前からきている。小学校はその3地区の
  真ん中あたりにある。その後
、田水山村は筑波町に合併され、その後つくば市に合併されている。


水守城遠景                 古墳を利用した櫓台(やぐらだい)
 
校庭の北端にある櫓台(やぐらだい)         櫓台の薮の中にある城址碑
    
水守城平面図               現在の水守城跡地
 
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多気城
 
KEKから北に 2 km
 
 平将門を倒した平貞盛の養子維幹(これもと) が常陸平氏宗家としてここに城を構える。
 維
幹の6代目多気太郎こと義幹(よしもと)初代小田城主八 田知家に 謀られ滅ぼされる
 まで200 年間栄える。
多気太郎が亡くなって800 年になるが地元では多気太郎さまと
  称され、今でも墓は手入れが行き届いており、毎年7月には追悼式がなされているという。
                                     筑波町史
                            マイナー史跡研究会 楠杜等

桓武平氏と大掾氏の略系図 (作成:楠杜等  加筆)

                                                (養子)                                 (多気太郎)
            +-貞盛..初代大掾 維幹---為幹---繁幹---致幹---直幹---義幹
           (初代桓武平氏) | ↑
桓武天皇---葛原親王---高見王---上総介 平高望-+-国香-+-繁盛--維幹
            |
            +-良兼---------良子
            | |
            +-良将(良持)---将門
            |
            +-良正(水守営所)

多気山遠景                  多気城配置図
  
多気太郎こと
幹の墓
    
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小田城

      KEKから東 に 3 km
  鎌倉時代初め(1192 年)
源 頼朝の部将八 田知家(はったともいえ)が築城、知家の
 4代目時
知 から地名をとって小 田氏を称した。初代以後小田氏は15 代 400 年栄えた
 南北朝時 代には北畠親房がこの城で神皇正統記(じんのうしょうとうき)を著わした。(1339 年)
 その後 1573 年佐竹氏等が小田城を奪ってから小田城主に梶原政影、続いて小場義成が城主に
 なり、1602 年統領佐竹義宣が秋田転封に伴って
小場氏 も秋田に移って以後廃城となる。
  国指定文化財史跡になっている。
                          日本城郭大系第4巻 阿久津久
                               つくば市教育委 員会
                  
  筑 波の風土に潜む三十一の謎に遊ぶ
 江戸勲
八田知家子息系図                     筑波町史

八 田知家  ----+----- 八田知重 ------ 八田泰知 ------ 小田時知
           |
          +----- 伊志良有知(美濃国)
           |
          +----- 茂木知基(下野国)
           |
          +----- 宍戸家政(茨城郡)  ------- 時家
           |
          +----- 浅羽知尚(越前国)
           |
          +----- 筑波為氏(筑波山別当)
           |
          +----- 田中知氏(田中荘)  ------- 知継
           |
          +----- 高野時家(陸奥国)  ------- 景家
           |
          +----- 中条家長(武蔵国)
 

     


 小田城復元図        土浦市史  
 小田城跡航空写真
 中央斜めの破線は関東鉄 道線路跡           関東鉄道跡は今サイクリングロードに
 今は中央の本丸跡のみ残っている。 
         なって いる。        筑波町史   
 
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若森城、陣屋敷、若森県庁

      KEKから東に 1 km
  下妻城主多賀谷政経が築城(1570 年)、
南北朝 時代には小田氏攻略の陣営 として活躍。
    江 戸時代旗本堀田氏の
陣屋、 若森県時代(1869 年)県庁所在地
 若森県は常陸、下総両国の旧旗本旧天領を所管とし、1871 年 11 月の県 統廃合まで存続。
 その後県庁舎の一部は吉沼小学校の校舎として移築され、その後さらに移転して村役場、
 新制中学校校舎としても使われていたが、昭和 28 年解体された。
 当時の瓦などは現在も残っている。(下図)  現在跡地は私有地になっている。
                               茨城県教育委員会
                              大穂町史 土浦市史

 二の丸土塁                  つくば市教育委員会
    


 陣屋敷配置図 上方が北
    大穂町史



若森県庁鬼瓦             大穂町史

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幻の大穂城跡地

 サッカー場南 (千代川村生活史 推定地)
 ここに大穂城が有ったと千代川村生活史第一巻自然と環境、及び
日本城郭大系第4巻に
書いてあるが残念ながらこれは方穂城の間違いのようだ。


           
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花畑城(方穂故城)

 KEK南 3 km  現在の花畑公園  
  小田城を攻め落とした高師冬(こうのもろふ ゆ)の本営場所。  
 江戸時代旗本堀氏の陣屋があった。
 方穂とは古い地名でこの辺りは方穂郷だった。大曽根の大と方穂の穂から
 大穂という地名ができた。この地方の有力者方穂氏も歴史上登場した。  大穂町史

 
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大曽根城跡
 
KEK南 1500 m  千光寺境内
 
 別名、中城 城。中城の小字 が あり、中世城館遺構の土塁と濠が見られ、小田家被官者の
 館跡、小田進攻時の築 城等によるものと見られる。「東國闘戰見聞私記」巻之七に
 元亀元年八月十三 日、結城晴朝は「水守、山木に 掛かり大曽根へ打出たり、大曽根
 の砦には浅野五郎左衛門、同藤右衛門、以下中略、先陣長沼五郎、水谷信濃 守千五百余
 にて 攻かかり無二無二に追落とし」とあり、戦国期の結城(多賀谷)対小田一族の 平塚原
 合戦の模様である。
                                   大穂町史

    
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富士山
 
つくば市千現
  薩摩富士、蝦夷富士等の何々富士という山は全国に340以上あるようであるが、標高の
 一番低いのはここ千現の富士山ではないだろうか。本家と比べて標高で100倍(標高約25m)、裾野からの
 高さで1000倍以上負けて入るが、西暦1611年の古文書にも載っている由緒正しい富士山である。
 




処刑場跡地

  守衛所南 50 m
  江戸時代、若森県時代の処刑場(100坪)     

   最近そこは壊され工事現場駐車場(里程標石の後 ろの駐車場)として使われていたが、
 今は元に戻されている。しかし以前あった縁石(処刑場建家の縁石と思われる)は
 無くなっている。
 グラマン戦闘機の搭 乗員の亡骸もここに葬られている。     
佐養豚 場経営者談   
                                   
大穂町史
 中央上 牢 屋敷 右 仕置場 下方が北    現在の跡地         
       
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築 320 年の神社 八幡神社

  kek西 5km
  吉沼にある1685に建築された神社、覆屋は1867年築造。
  
西側面 蟇股の裏面に1685年(貞享2)の墨書があって、建立年次が明らかである。
  墨書には彫物師が江戸の嶋村吉兵衛とあるが、大工の名前はない。本殿は間口6.7尺の
  一間社流造で、屋根は茅葺である。 覆屋は方四間、入母屋造、桟瓦葺で、土台を回して
  方柱を立て頭貫・台輪を組み、獅子の掛鼻を付けている。
こ の種のものとしては本格的な
  造りで、江戸時代に溯る例の少ない遺構であり、棟札によって1867年(慶応3)に
  建てられたことが知られる。             茨城県教育委員会
八幡神社覆屋 (後ろの建物)                   八幡神社本殿
 




築 290 年の家 大塚
源兵衛氏邸
   KEK南西 5 km
 栗原にある
1710 年頃に建築された民家、国指定の文化財建 造物。
  大塚家は、太 田道灌の系譜を ひく旧家で代々の名主を務め、古くから歴代源兵衛を
 名乗っている。現在の建物は12代目の人が建てたと伝承し、その時代は正徳から
 亨保にかけてのこと(1710〜1720 年頃)である。
  県内における整形四間取の民家の初期の例として価値があり、しかも規模も大きく
 質的にもすぐれている。その当時としては新しい建築技術であり、その傾向がよく
 残されている。            茨城県教育委員会 つくば市教育委員会

 
門構えも立派
  
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築 330 年の家 椎名一郎氏邸
  
霞ヶ浦町にある東日本最古(
1674年)の民家
 
 本民家は,桁 行き15.3 メートル,梁間9.6メートルの茅葺き,寄せ棟造りを
 呈する建造物である。
  昭和45・46年に解体修理が行われた際,差鴨居の柄から「延宝2年・・・」の
 墨書銘が発見され,年代が明らかな民家としては東日本最古のものである。
  建物は南面して建つ直屋で,西側に土間,東側に部屋を配置する。間取りは土間に
 面して板敷きの広間があり,この奥手に表から玄関・座敷・寝間の三室が並ぶ。
 広間前寄り中央に上屋柱が独立柱として立っており,全面の格子窓には丸竹を用いるなど
 古い形式をもち,広間の後部は建具を立てて間仕切ってはいないが内法まで壁が下がり,
 前寄りの広い板間と空間的に区別され,いろりが切ってあり,日常生活の場となっている。
 広間から土間にかけては間仕切りの建具や天井がなく,広い空間をつくる。
 曲がり材を用いた梁組なども関東の古民家にみられる特徴であり,製材技法にも主要な柱は
 蛤刃の手斧仕上げ,仕切り戸の板などには槍鉋を使用するという古い要素をみることができる。
                               茨城県教育委員会
                              霞ヶ浦町教育委員会
   

                          霞ヶ浦教育委員会パンフレットより
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120年前のKEKの敷地の地図
 
 当時松林であった。 新治郡前野村時代 
    (1896 年県内の郡を統合、境界を変更したために筑波郡となる。)
 四角に囲った所がKEK敷地  赤松だったので松茸が採れた。
 
KEK敷 地は当時前野村、山木村、佐村、若森村に跨がっていた。
                   1884 年 旧陸軍参謀本部測量局


   
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大正二年の里程標石
     
 
守衛 所南 50 m                
 筑波郡大 穂村時代 当時ここは四つ角だった。 下の地図の丸印の所
    標石 文字
       (東) 若森を経て一の矢に 至る 約一里
       (西) 水守を経て下妻に至る 約三里
       (南) 
篠崎 蓮 沼口の堀方面 約一里
       (北) 山木を 経て泉に至る 約三十丁
       (1里 = 36 丁 ≒ 3.927 km )
       (1丁(町)= 60間 
  109.1 m )
                      
   1913 年 佐青年会建立

   

大正10年地図土浦  大穂村時代    1921年 大日本帝国陸地 測量部 (金十三銭)
 KEK敷地は当時大穂村、佐村、田水山村(たみやまむら)に跨がっていた。

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水神社跡地
 
守衛所 南 800 m
   地元の 人 達は水神様(みずがみさま)と呼んでいたがKEK建設時に消滅した。
 今はその辺りは巨大な残土置場となっている。             大穂町史
 KEKの土地は元々湿地帯で豊富な水の湧き出し口があり、
 池の様になっていた。そのため水神様も祀っていたと思われる。   佐、若森住民談
 KEKにおける井戸の水位調査においてもPS地区は地下水位が非常に浅く
 (2 m弱)かつ湧き出し口を示す様にまわりに流れ出している。     KEK施設部
 KEKの敷地、南の公団の敷地、それに北西の北部工業団地辺りは大伏間と呼ばれ る
 大湿原地帯であり、東谷田川の源流となっていた。学園地区開発により湿原は消滅し、
 井戸は涸れ水田は水不足にみまわれた。井戸から筑南水道へ、水田は県営土地改良事業
 によりパイプラインが敷かれて救われた。               つくば市
                                   大穂町史

      
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グラマン戦闘機不時着地

 KEK南東 2 km
 太平洋戦争時米軍艦載機グラマン戦闘機不時着(JAN-15-1945)   根本自動車社長談
                                    大穂町史

 
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1947年の航空写真
              
                              駐日米軍撮影
 筑波郡大穂村時代  (1889 年大穂村誕生)
  当時のKEK敷地内は 水田、松林、拡 大 すると現在のPSカウンターホールの場所に馬場が
 確認される。戦争中KEKの西 安食(あじき)、作谷(つくりや)にあった旧陸軍の
 西筑波飛行場の付属施設としての馬場を戦後払い下げら れた。その馬場で地元の人たちは
 農耕馬で競争をしていたという。                                                                                  佐養豚場経営者談
 


1950年の地図土浦        地理調査所 (金10円)
  地図上の左上の白い所は旧陸軍航空隊西筑波飛行場跡地(下の写真)
 戦争中はその飛行場が空襲のターゲットだった。 
    佐養豚 場経営者談
 KEK敷地は当時大穂村、佐 村、田水山村(たみやまむら)に跨がっていた


1947 年の
旧陸軍航空隊西筑波飛行場跡地航空写真      筑波町史

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1970年2月のKEKの写真
  
 旧クラブハウスから見たkekの様子              稲垣慈見氏撮影


クラブハウスから北西の方角 linac棟の場所  下の小屋は馬屋だった。 中西弘氏談


クラブハウスから北東の方角  正面奥は
4号館の 場所。


クラブハウスから東北東の方角 左奥がKEK入り口


クラブハウスから東の方角 サッカーグラウンドが正面奥
 

クラブハウスから南東の方角 大曽根の街並が確認できる。
次の1971年の航空写真をクリックした拡大写真と並べてみるとはっきりわかる。
       


1971年の君島橋
  
KEKに一番近い橋。KEKから北条に抜ける裏道に架かっていた木造橋。
 稲垣慈見氏撮影
  
今は鉄 筋の橋だが、1971年当時は木製の橋だった。
  ここをパン屋のトラックが通っていた という。             稲垣慈見氏談
  1973年にはこの上流300mに現在の橋が完成した。
  橋が新しくなったが幅は狭くなり、木造橋はすぐに取り壊されたという。 君島住人談


  現在のその場所



1971年のPS近辺航空写真

   筑波郡大穂町時代 (1953 年町制施行)
  PS 準備棟、PSリニアック棟、PS北実験室等が確認される。
  斜めの2本の道路はKEKを縦断していたが現在は所内のみ無くなっている。
              PS制御室        広報室、庶務課

      

1969年の地図上郷           国土地理院
 KEKが出来る直前の地図。 当時はゴルフ場だった。
 
KEK敷地は当 時大穂町、筑波町に跨がっていた。


1975 年の航空写真
 PS関係施設以外に旧クラブハウスが確認される。
 南の公団敷地はまだ荒らされていない。
             広報室、庶務課


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現在の航空写真
 
                   2002年10月          KEK広報室
下の写真をクリックすると色々な物が確認できる。(1987 年つくば市誕生)
現在のKEK敷地はつくば市大穂、つくば市上沢に跨がっている



       
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参照資料等

   つくば市遺跡地図        
 つくば市教育委員会
   明治 17年地図北条村       旧陸軍参謀本部測量局
   大正10年地図土浦        旧大日本帝国陸地測量部
   1947年航空写真  
      駐日米軍
   昭和25年地図土浦        旧地理調査所
   昭和44年地図上郷        国土地理院

         【複製承認】
「この地図及び空中写真は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の5万分の1地形図、
2万5千分の1地形図及び同院撮影の空中写真を複製したものである。
承認番号 平15総複 第177号)」   国土地理院 july/02/2003
   1971年航空写真        PS制御室
   1971年航空写真2       広報室、庶務課
   1975年航空写真        広報室、庶務課

   2002年航空
写真        KEK広報室
   小田城跡航空写真         筑波町史
   1995年地図つくば市      日本地図センター
   日本城郭大系第4巻        阿 久津久
   重要 遺跡調査報告書II        茨城県教育委員会
   大穂町史             旧大穂町
   筑波町
史              旧筑波町
   土浦市
史              土浦市
   千代川村生活史第一巻自然と環境  千代川村
   小野小町の墓           新治村観光協会
   北向観音            
 八郷 町ふるさとの史跡まもり隊
   大木、民家            茨城県教育委員会 霞ヶ浦教育委員会

   里程 標石             旧佐青年会
   
基準点成果等閲覧サービス     国土 地理院 web page
   グラマン不時着地         根本自動車社長
   馬場               佐養豚場経営者
   水神社              佐、若森住民
   大日塚古墳            根本運送有限会社
   三角点、
水準点電子基準点     国土地理院
   一等三角点全国配置図       
国土地理院
   GPS定点観測データ        
国土地理院
   KEK地下水位             KEK施設部
   距離標              茨城県
   
庚申信仰             日本 大百科全書 小学館
    板碑、ザクマタ、大日 信仰     茨城県の不思議辞典 石塚眞編
   戸張の犬供養           宮本とみ
   古代の装身具・玉         土浦市立博物館
   筑波の風土に潜む三十一の謎に遊ぶ 江戸勲
   
マイナー史跡研究会        楠杜等
   郵便ポスト、郵便局数       郵政行政統計データ年報 郵政事業庁郵務部業務課
   丸い郵便ポスト          筑波学園郵便局
   富士山5合目郵便局        山梨日日新聞

   常陸国の城と歴史          http://homepage1.nifty.com/s-kaze/index.html
   茨城県南の城館          
http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/southiba.html

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