KEK内外の旧跡
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   KEK まわりの旧跡地図
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古 墳  水守桜塚古 墳 山木古墳 八幡塚古墳 new!
     八幡塚円墳  new! 大曽根松原古 墳群
     佐古墳群  玉取一ノ矢古墳群 前野大日塚
板碑  
板 碑  ザクマタ   大 曽根大日塚古墳 庚申塔
城跡    水守城 多気城 小田城 若森城 大 穂城
     花畑 城 大曽根城
 旗本堀田氏陣屋 敷 若森県庁
字名の変遷  小野小町 の墓    塩田遺跡 new !  田中の引き松  new!
      
八幡神社 new ! 明神池 new! 富士山  new!
民家    大 塚家住宅   椎名家住宅 木造君島橋 new !     
丸木舟
 牛久 沼   小貝川   大宝沼       
巨木
  下横場の大グミ  地蔵ケヤキ   出島のシイ
グラマン不 時着地(1945年) 丸い 郵便ポスト
地図  1884年地図 1921 年  
1950 年 1969年   
写真  1947年航空写真    1947年 飛行場    1970年 
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1971年  1975年 小田城跡航空 写真 2002 年 
処刑場跡地   KEK地 下水位
 高圧鉄塔new ! 変電所new !
里程標 石(1913年)   水神社跡地
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おまけ  一等水準点   四 等三角点
  一等三角 点 
      電 子基準点  距離標   
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参 照資料

水守桜塚古墳
  
KEK北 1 km
  水守城西に隣接する前方後方
墳                                   4世紀後半の築造
  
 前方後方墳は前方後円墳に比してその数が少なく、全国で 140 例が発見されている
  にすぎない。KEKまわりでは一番古い古墳である。

  全長 30 m、主体部は後方部墳頂下 1 mに長さ 6.7 mの割竹形木棺が確認されている。
  副葬品には、変形四獣鏡、直刀、輝緑凝灰岩菅玉、琥珀勾玉、
輝緑凝灰岩石釧(いしくしろ)、
  ガラス小玉等が出ている。埴輪は確認されていない。   
                         土浦市立博物館 
大穂町史 筑波町史

勾玉、菅玉、小玉    石釧(いしくしろ)

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山木古墳
  KEK北 1 km
   東大通りに分断されている前方後円墳 全長 48 m
後円部直径 25 m 高さ 3.45 m
  短剣、菅玉、勾玉、ガラス玉、土器等が出ている。4世紀末から5世紀初頭の築造
                                筑波町史


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八幡塚古墳
   
筑波山の麓、沼田にある前方後円墳。
6世紀前葉の築造。
  桜川流域では最も大きな古墳で、全長 90m(つくば市教育委員会)から
  120m(茨城県教育委員会) の前方後円墳。長さが異なって発表されているのは
  前方部が壊され麦畑になっていたものを復元して現在に至っているため正確な
  長さがわからない事に依る。右側が前方で幅 45m 、左側が後円部で径 58m 、
  後円部からは埴輪も出土している。   つくば市教育委員会、茨城県教育委員会、筑波町史


後円部                             前方部 後ろは筑波山


八幡塚円墳
 
八幡塚前方後円墳の西60m にある円墳。石棺が露出していて中が確認できる。



大曽根松原古墳群

 KEK南東 2 km
  畑の下に古墳群 前方後円墳1基(全長約34m)、円墳12基(径 26~27 m 6
基 14~15 m 6 基)
 6世紀頃に営まれた古墳           (大曽根松原古
墳群、若森吹上古墳群)
 西大通りの延長工事で古墳が再発見された。          つくば市教育委員会



古墳群を北から南を望む      大穂町史


下の左右に横断し ているのが大きな帯が西大通り延長線。上方が北。
                 
          大穂町史

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佐古墳群 石棺
 
KEK 東 500 m
 
 鹿島神宮境内の箱式石棺。勾玉、鉄刀、銅鏡などの副葬品が出ている。
 昭和 38 年頃この辺りの古墳が盗掘された。        大穂町史


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玉取一ノ矢古墳群
 
KEK南 3.5 km  一ノ矢神社境内
  八坂神社の境内及び神社周辺に存在した古墳で構成される古墳群であるが、現在では
 封土を伴う円墳二基が境内に存在するのみである。           大穂町史
                              つくば市教育委員会

円墳                   大ケヤキ(樹齢750年だったが枯死)

   
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牛久沼丸木舟
 
 茨城県立竜ヶ崎一高保管  古墳時代
  
丸木舟は、1953 年に牛久沼の八間堀付近の湖底下約 1.5 mの砂層から発見された。 
 材質は松材で、舳先(へさき)と艫(とも)の一部を失っている。
 残存部全長は 6.26 m、最大巾は舷側(げんそく)の中央部付近で 65 cm、厚さ 7 cm。
  丸木舟の舷(ふなばた)は、上方に向かうに従って内側へカーブをえがき、内側のえぐりも舷の
 カーブに合わせて内彎するように削られている刳舟(えぐりぶね)で、舷の上端では舟の巾は著しく
 せばめられており、古墳時代の丸木舟の特徴をよくあらわしているという。 
  古墳時代の丸木舟の発見は少なく、この舟のようにほぼ完全な形で発見され、
 保存されているのは良いことだが、保管方法にやや問題がある。
                    茨城県教育委員会 
   茨城県立竜ヶ崎一高

 
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小貝川丸木舟
  
伊奈町郷土資料館に保管されている。 縄文時代後期
  1972年に伊奈町狸渕の小貝川岸から発見された。発掘の際、一部を破損したが、
 ほぼ原型のまま引き上げ保存された。この丸木舟は、縄文後期から弥生期にかけて、
 漁獲や湿地での農耕に使われたらしく、型からみて縄文後期のものと推定されるという。
 かつてこの地方一帯は、常陸 下総にまたがる広漠たる沼地であった。
 丸木舟は保存水槽に保管され見ることができない。写真等の資料を説明盤に添付してほしい。
                     伊奈町教育委員会
     伊奈町郷土 資料館
保存水槽                   中には金魚が泳いでいる
 
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大宝沼丸木舟
  
下 妻市大宝八幡宮に保管されている。 古墳時代後期
 
材質は県教育委員会はクロマツ材,八幡宮はイトスギ材といっている。長さ 6.07 m,幅 55 cm。
 船首と船尾をとがらせている。江戸時代の中頃に大宝沼干拓の際発見されたといわれる。
 浅瀬で運搬用に使われていたものと考えられ、舟底は平たんに近い造りで,舷の内外とも
 精巧に削られているのが特色になっている。
古墳時代後期のものと考えられているという。
 八幡宮には他にも埴輪、縄文式土器等も展示されているが説明が殆ど無いのが残念。
                       茨城 県教育委員会    大宝八幡宮

 
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塩田遺跡 村松白根遺跡
  JPARK敷地内にある塩田遺跡
   砂の下4メートルの所から黒い土が出て来たので注意して掘り下げると
   写真手前の大型鹹水層(かんすいそう)、カマドなどが出て来た。村松虚空蔵堂の
   記録によると室町時代まで塩田として使用していたようである。 茨城県教育財団
 

田中の引き松
 
東大通りと125号国道 のT字路交差点の北50メートル地点
  田中の引き松伝説にはいくつかの説があり、北畠
親房が小田城から逃げのびる際に
  大事にしていた松が大八車から落ち、足手まといになったのでこの地に植えたとする説がある。
  その他には小田の家臣の兄弟の血みどろの争いの弔いにこの地に植えたとする説等がある。
  地元の80歳くらいのおばあさんに聞いたところ、既に彼女の小さかった頃にはこの松は切り株
  だったという。しかしそばには2代目の松が育っている。切り株の直径 1.2〜3メートル
 

幻の明神池
  KEK入り口の東100m
  航空写真では確認されていたがそこに行く道路が無かったのが今回廃道が見つかった。
  明神池南の給食センター東の廃道を北東に進むと倒木あり。その20メートル前方を左に折れると
  別の廃道が見つかる。その道を北に進むと明神池に到達する。
  


小野小町の里
 
 平安時 代 の歌人小野小町ゆかりの里、KEKの東 6 km
  全国に数十あるといわれる小町の墓の一つが筑波山の麓にもある。
 
住所は 新治村大字 小野字小町となって凝っている。
  言い伝えによると、京都から奥州に旅する途中、新治村小 野清滝観音から
 八郷町小野越北向観音へ向かいお参りした後病に倒れ、この地の村長(むらおさ)
 小野源兵衛宅で親切な介抱をうけたが、883 年7月7日 69 歳で亡くなった
 といわれている。小町の墓は今でも手入れが行き届いており、小野家では代々、
 旧暦7月7日には供養をしているという。            新治村観光協会

  北向観音の縁起書によると、小野小 町 は東北地方に帰る途中、病を患い新治村から
 山を越え北向観音に参拝。霊験で病がいえた小町は 和歌一首をお礼に奉納して旅立った
 という。「小野越」の名称も この故事にちなんだと、記されている。北向観音には、
 山越えの途中に休んだ「腰掛石」、地面にさしたか んざしが木になった「かんざしの 木」、
 回復した姿を 映した「姿見の池」、和歌を詠むためすずり代わりにした「すずり石」
 各種の小町の“遺産”が残っている。                
 北向観音
                        八郷町ふるさとの史跡まもり隊


小野小町の墓            北向観音に行く途中休んだという腰掛石
   
 北向観音                   小町すずり石
   
 北向観音道しるべ               小町いぼ神様
   
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前野大日塚
 
KEKの西に接している大 日塚       つくば市 教育委員会
失われた大日信仰 
  寛永年間(1624~1644 年)に盛んに建立され た大日仏で大日如来を祀ったものである。
 しかし寛永期を過ぎると全く建立されなくなるのである。現在大日信仰は我々の
 周りから姿を消している。分布を見ると、岩間町あたりを北限として茨城県の
 南部から西部にかけて分布し、つくば市に特に濃厚に存在している。
                         榎陽介 茨城県の不思議辞典

    
                         
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板碑 ザクマタ
 前野大 日塚南 50 mにある2点。 小さな道路を挟んで並んでいます。
 どちらもよく整備されている。

板碑 
  中世に出現しその後姿を消す板状の石像物を板碑
(い たび)と総称している。
 茨城県内には2種類の板碑が存在する。埼玉県の秩父地方産の
緑泥 片岩でできた武蔵型
 板碑と筑波産の黒雲母片岩でできた常総系板碑である。武蔵型板碑は古河市、岩井市、
 猿島郡といった県南西部に濃密に分布する。一方常総系板碑は筑波郡から竜ヶ崎、稲敷郡
 にかけて分布する。県内で約2600基の武蔵型板碑と約200基の常総系板碑が確認
 されている。これは常総系板碑である。もともと親に対する追善供養、自らの後生善処を
 願う逆修供養として作られた。15世紀後半頃盛んに作られたようであるが、17世紀
 初めを最後に消えてしまった。

ザクマタ 
  安産祈願のためのもので安産の代表的な動物として犬を供養 することにより、
 安産にあやかろうとしている。雌犬が死ぬと近所の女性たちが ザクマタを立てて供養する
 下の右の写真のY字形の物がザクマタである。
  ところが難産の代表である猫を供養することにより、人間の安産を願う地域も美和町、
 緒川村、山方町、大宮町、御前山村、大子町玉里村、真壁町の一部等けっこうある。
                     榎陽介 市川彰   茨城県の不思議辞典
                                    
大 穂町史
                                                                         
戸張の犬供養 お話 宮本とみ

3段重ねの石は共通。           板碑の前のY字の物がザクマタ
   
板碑の分布          筑波町史

                   
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大曽根大日塚古墳
 
KEK南 1 km 
  個人の家の庭にあり手入れが行き届いている。
        根本運送有限会社
 径30m高さ 2.5 m 封土に円筒埴輪片が認められる。         大穂町史
 古墳の頂上には石棺があり、その石壁には大日如来像が確認される。   筑波町史
                              
つく ば市教育委員会
     
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庚申塔
 KEK南 1 km 歯科医院の近くの道路上にある。          1988 年建立
  庚申とは十干十二支の57番目で60日または60年ごとに巡ってくる庚申(かのえさる)
 の日に営まれる信仰行事。元来は道教の三尸(さんし)の説に端を発している。人の体内に
 いる三尸という虫が、庚申の夜に人が寝るのを見澄まして天に登り、天帝にその人の罪を
 告げる。すると、天帝はその人を早死にさせるというのである。したがって、長生きする
 ためには、その夜は眠らないで身を慎むのである。これを守庚申(しゅこうしん)という。
 三尸の説は中国では晋の時代から説かれていたというが、日本では平安時代の貴族社会に
 おいて守庚申が行われてきた。そして、僧侶の手によって庚申縁起がつくられるようになる
 室町時代頃から、しだいに仏教的な色彩を帯び、庚申供養塔などが造立されるようになった。
 一方民間にも広まり、村落社会の講組織などと結びついて、仲間とともに徹夜で庚申の祭事を
 営む習俗である庚申講や庚申待といった形で定着した。
                              日本大百科全書 小学館
 
 全国に何 千と庚申塔はあるようだが、青面(しょうめん) 金 剛像や謹慎の態度を表すという
 三猿を彫ったものが普通のようである。この庚申塔は1988年に建てられたもので非常に
 新しい。1988年は庚申の年かと思いきや戊辰戦争から120年たった
戊辰(つちのえたつ)
 であった。1980年が庚申の年であった。ちなみに2003年は癸未(みずのとひつじ)
 
十干十二支
20番目の年である。
   
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地 蔵ケヤキ
  
取手市下高井高源 寺境内 樹齢 1600 年 茨城県一番の長寿生命体
 
 樹齢 1600 年といわれ、高さ 27 m、胸高直径 3.3 mを計る大樹である。
 幹は途中で大きく枝分かれしており、そこからさらに大枝が伸びている。
 中心の巨大な幹は内部が大きく空洞となっており、そこにいつの時代からか
 不明であるが、名称の由来となった地蔵尊がまつってある。
                        茨城県教育委員会

   
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下横場の大グミ
  
P4施設近くにあるJICAの北東角
 樹齢 500 年の大木
   グミ科の植物でナツメグに属し、樹高約 7 m、幹の根元まわりは 2.3 m ある。
  地上より 0.2 m のところから枝分かれしている幹のまわりは、それぞれ 1.1 mと
  1.8 m の太さである。
枝張りは7m に及びグミ特有の若い枝が多く出ている。
  
樹齢はおよそ 500 年、室町時代に菩提樹として植えられたものと推定され、
  現在も樹勢は盛んである。
                              茨城県教育委員会 

 
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出島のシイ
  
霞ヶ浦町にある樹 齢700年の大木
 
  長福寺の山門脇にある。
 樹高約15メートル,目通り幹周囲約7メートルで,枝張り27メートルほどの大木である。
 樹齢約700年といわれる。
 幹は地上約7メートルから欠損しているが,枝が四方に伸びているので,樹姿は堂々としている。
 寺は山門のみが昔の姿をとどめているが,椎の周囲には弘法大師の石仏が八十八鎮座しており,
 四国八十八箇所巡りが,椎の根元を一周すればできるようになっている。
                                茨城県教育委員会

   
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参照資料等

   つくば市遺跡地図        
 つくば市教育委員会
   明治 17年地図北条村       旧陸軍参謀本部測量局
   大正10年地図土浦        旧大日本帝国陸地測量部
   1947年航空写真  
      駐日米軍
   昭和25年地図土浦        旧地理調査所
   昭和44年地図上郷        国土地理院

         【複製承認】
「この地図及び空中写真は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の5万分の1地形図、
2万5千分の1地形図及び同院撮影の空中写真を複製したものである。
承認番号 平15総複 第177号)」   国土地理院 july/02/2003
   1971年航空写真        PS制御室
   1971年航空写真2       広報室、庶務課
   1975年航空写真        広報室、庶務課

   2002年航空
写真        KEK広報室
   小田城跡航空写真         筑波町史
   1995年地図つくば市      日本地図センター
   日本城郭大系第4巻        阿 久津久
   重要 遺跡調査報告書II        茨城県教育委員会
   大穂町史             旧大穂町
   筑波町
史              旧筑波町
   土浦市
史              土浦市
   千代川村生活史第一巻自然と環境  千代川村
   小野小町の墓           新治村観光協会
   北向観音            
 八郷 町ふるさとの史跡まもり隊
   大木、民家            茨城県教育委員会 霞ヶ浦教育委員会

   里程 標石             旧佐青年会
   
基準点成果等閲覧サービス     国土 地理院 web page
   グラマン不時着地         根本自動車社長
   馬場               佐養豚場経営者
   水神社              佐、若森住民
   大日塚古墳            根本運送有限会社
   三角点、
水準点電子基準点     国土地理院
   一等三角点全国配置図       
国土地理院
   GPS定点観測データ        
国土地理院
   KEK地下水位             KEK施設部
   距離標              茨城県
   
庚申信仰             日本 大百科全書 小学館
    板碑、ザクマタ、大日 信仰     茨城県の不思議辞典 石塚眞編
   戸張の犬供養           宮本とみ
   古代の装身具・玉         土浦市立博物館
   筑波の風土に潜む三十一の謎に遊ぶ 江戸勲
   
マイナー史跡研究会        楠杜等
   郵便ポスト、郵便局数       郵政行政統計データ年報 郵政事業庁郵務部業務課
   丸い郵便ポスト          筑波学園郵便局
   富士山5合目郵便局        山梨日日新聞

   常陸国の城と歴史          http://homepage1.nifty.com/s-kaze/index.html
   茨城県南の城館          
http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/southiba.html

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