研究者への道

表紙へ
前へ

8. ドイツでの実験と圧力と

1991年と言うと、インターネットなんて全然一般的ではなかった時代。e-mailは使えていた記憶はあるものの、それほど使い勝手は良くなかった。だから湾岸戦争がどうなっているのか現地のテレビや新聞などで情報を仕入れる他には方法がなく、心配した好村先生が日本の新聞をまとめて航空便で送ってくれたりしていた。ユーリッヒの近くのNATOの基地から戦闘機が飛んで行くのが見えたり、ドイツ人が反戦集会をしていたり、と落ち着かない雰囲気が続いていたのだが、しかし私が帰国するちょっと前に戦争は終結して直接の影響はなしに終わった。

ところでその時の実験だが、ユーリッヒの原子炉は何かのトラブルで止まっていて使えず、ホストのSchwahnの伝手でデンマークのリゾ国立研究所へ行って実験することになった。Schwahnの車に私ともう1人の研究者が乗って、1日がかりで海峡を越えてロスキレの町へ。当初の出張予定ではデンマークに行くことになっていなかったため、ややこしい日程変更の手続きをしなければならないなどトラブルもあったが、しかし実験そのものは成功だった。特に最初に意図していた実験がうまく行かなかったのでSchwahnとMortensenと相談して狙いを変え、マイクロエマルションの臨界現象に絞って実験を進めたのが良かった。自分は学位を取ったとは言えまだまだ研究者としては半人前だ、と思っていたのだが、それでも外国の研究者と英語でコミュニケーションをとり、ちゃんとした研究としてまとめることができたと言うことは良い経験になったし、また自信にもなった。特にこれはソフトマター関連の研究の最初のものだったと言うことで、自分の「研究史」の上からも重要な意義を持ったものだった、と言える。

この「臨界現象」の話に続いて取り組んだのは、圧力効果を調べる実験だった。ソフトマターに圧力をかけると何が変わるのか。後から考えて結構重要な内容が含まれていることが分かったのだが、発想はわりとシンプルで、阪大の時代に同じ研究室で圧力実験をしていたグループがあったことや、Schwahn が中性子小角散乱の圧力実験に取り組んでいたこと等から思いついたのだった。ただ最初は単なる思いつきだったのだが、そのアイディアを日産財団の申請書と形でまとめ、それが採択されたところから動き出す。ちょうど同じ時期に似たようなことをしようとしていた京大工学部の橋本先生のグループと半分ずつお金を出し合って中性子小角散乱用の圧力セルを作ることに決め、橋本研の学生だった武野さん(現群馬大)とうちの研究室に来たばかりの長尾道弘君(現NIST)とともに光高圧機器に行き、社長と相談してセル作りを進めたのだった。そしてそのセルが完成したのが長尾君がM2の年の、もう冬になろうかと言う時期。それから大急ぎでSANSの実験をし、マイクロエマルションの臨界現象が圧力によってどう変わるか、と言うデータを出して、何とか修論としてまとめたのだった。

次へ