研究者への道

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7. 助手生活のスタート

私が学位を取ったテーマは、Fe-Pd合金のマルテンサイト変態をX線回折と中性子散乱を用いて調べた、というもの。就職した研究室の「上司」であった好村滋洋、武田隆義の両氏ともに中性子散乱が専門で、合金系のスピノーダル分解などの業績がある。と言うことで私は博士課程での仕事の流れのままで行くことができるのだろう、と漠然と思っていた。もちろん、京大原子炉やKEKでのビームタイムの時には一緒に行って手伝ったりはしたのだが、それ以外については好村先生も武田さんから特にこれをしなさい、と言われることもなかったので、とりあえずD論の結果を投稿論文にまとめたりしつつ何をしようかな、と考えたのだが、しかしあまり良いアイディアも浮かばなかったのでマルテンサイトの続きでもしようか、と物性研の共同利用に申請書を出そうとしていた。ところがその直前、好村先生から「待った」がかかったのである。せっかく新しいポジションに来たのだから、新しいことをした方が良いのではないか、と強く suggestionされたのだ。

好村先生は1980年代からリン脂質系や液晶などの研究などを行っていたのだが、私が赴任する前後にIsraelachivilleの話を聞く機会があって「これからはマイクロエマルションだ」と言う考えを持っていたらしい。日本ではまだ「ソフトマター」なんて言葉を聞くことも無かった時代。私自身、かつて液晶をやっていたにも関わらず今後そちらに発展するだろう、等と言う意識は全く持っていなかった。ただ大学院生時代に高温超伝導(今で言う酸化物超伝導)に多くの研究者がこぞって飛びついたのを見ていたので、「固体物理には開拓すべき分野はあまり残っていないのではないか」と言う感触も持っていた。また「マルテンサイト変態」を一生続ける価値のあるテーマだとも思っていなかったので、好村先生のsuggestionに素直にうなずくことが出来たのである。

そんな感じでマイクロエマルションをテーマに研究してみよう、と決めたのが確か広大に行って2年目に入ってすぐぐらい。京大原子炉で予備的な実験をして、中性子小角散乱と言う手法にも慣れたところで、突然ドイツ行きの話が降ってきた。武田さんが酸化物超伝導体の磁束線格子を見ようとする実験をドイツのユーリッヒでやってきたものの目ぼしい成果が出なかったので、代わりにお前が行って何かやって来い、と言われたのだ。そして私がドイツに到着して数日後の1991年1月17日、アメリカ空軍がイラクへの空爆を開始して、いわゆる湾岸戦争が始まったのである。

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