研究者への道

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2. 阪大基礎工へ

私が行った当時の阪大基礎工の物性物理工学科(略して「物性」と呼んでいた)と言うところはなかなか凄いところで、物性物理学の「巨星」と言われるような人たちが大勢在籍していたのである。低温と磁性の長谷田泰一郎先生。金属学の藤田英一先生。理論では中村伝、吉森昭夫、望月和子の各先生。もう一つ若い世代には那須三郎、天谷喜一、小野寺昭史、北岡良雄ら後にそれぞれの分野で大家と言われるようになる人材がいた。そして、私自身は行くまでそのことをほとんど知らなかったのだから、恐れ入ったものである。

これらの先生方には色々な場面で教えを受けたのだが、特に印象が深いのは長谷田先生だった。物性ではM1の学生を全員集めて週に1度「M1コロキウム」と言う授業をやっていて、そこではM1の学生が毎週2人ずつ交代で発表しつつ議論を行うのだが、この授業の担当だった長谷田先生はいつもいつも非常に基礎的な質問をして下さった。我々学生は最初は気後れしてあまり質問もできなかったのだが、長谷田先生ほどの人でさえ簡単な事を聞くのだから、我々が聞いても大丈夫、と言う感じでどんどん活発に議論できるようになったものだ。どんな小さなことでも疑問を分からないままにしておいてはいけない、と言う研究者としての基本姿勢を教えてもらったような気がする。

また私が所属したのは山田安定先生の研究室だったのだが、山田先生も誘電体と金属、特にX線や中性子を用いた構造相転移の研究については第一人者で、私が行った頃はちょうど50代に差しかかったばかりの脂の乗り切った頃だった、と思う。因みにその研究室の助教授は、後に東大物性研の中性子散乱研究施設長や中性子科学会会長等を務めた藤井保彦先生。助手として在籍していたのは、現在東北大教授の野田幸男さんとお茶の水女子大教授の浜谷望さん。考えれば考えるほど、凄い環境にいたものである。

そこで最初に与えられたテーマは、「強誘電性液晶の電場によるパターン変化」と言うものだった。これは言わば「ソフトマターの非平衡状態」に関する研究で、現在私が研究していることに直接関係しているのだが、しかし「山田研」の流れからすれば全く異質なものだった。なぜそんなテーマを与えられたのか。おそらくそこには、山田先生なりに今後進んで行くべき方向、のようなものに対する直感があったのではないだろうか。

そんなわけで研究室で全く新しいテーマを始めた私は、野田さんと一緒に阪大工学部の吉野研究室(因みにその時応対して下さった院生の尾崎さんは、今やその研究室の教授だそうだ)に行ったりして情報を集め、顕微鏡やビデオカメラなど必要な装置を買いそろえて、修士課程での研究をスタートさせたのである。

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