研究者への道

表紙へ

1. 学部生まで

私が物理学者を志したのは高校生の時だったと思うのだが、きっかけは中学3年生の時だった。同級生から紹介されて読んだ相対性理論に関するブルーバックス。たぶん都筑卓司さんか佐藤文隆さんの本だったのではないだろうか。光の速さに近づけば近づくほど質量が重くなり、長さが短くなり、そして時間が伸びる、と言う話は衝撃的だった。高校時代の「物理」と言う科目は全然面白くなかったのだが、きっと大学に行ったら面白い「物理学」が学べるだろう。物理と言えば、湯川・朝永を生んだ京大理学部。今から思えばそんな非常に単純な理由で、志望校を決めて受験勉強に邁進していたのだった。

田舎の県立高校での生活と京大での学生生活の落差は想像以上で、それに絡んだ面白い思い出は多々あるのだがそれはさておき。「研究者への道」と言う意味で一番大きかったのは自主ゼミだった。当時理学部には「自然科学ゼミナール」と言う学生組織があって、自主ゼミの結成や運営方法などについて上回生から新入生へのアドバイスをするルートができていたのだが、これには本当にお世話になった。一番最初にやった「解析概論ゼミ」こそテキストのつまらなさに頓挫したが、その後はゴールドスタインの「古典力学」(やたら難しかったので、後で別のテキストに変更した覚えあり)や内山龍雄の「一般相対性理論」(1年やってテンソル解析までしか進まなかった)などなど、授業にはほとんど出ずに自主ゼミばかりやっていた。

中でも印象深いのは砂川の「理論電磁気学」のゼミだ。確か2回生の時だったと思うのだが、金山さんや養老さん、倉重さんなど1年上級の物理系の秀才と言われていた人たちと一緒に、琵琶湖湖畔のセミナーハウスに3日ほど泊まりこんで勉強し、議論し、そして酒を飲んで散々語り合った。ハイレベルな議論に付いて行けないことも多かったのだが、非常に刺激になって「京大に来て良かった」と思ったものだった。

もう一つ印象に残っているのが、3回生の時のシッフの「量子力学」を原書で読んだゼミ。同級生同士でやったのだがその中の1人がめちゃくちゃできるやつで、何だかひどい劣等感に呵まれた記憶がある。その1人、と言うのは大栗博司君で、その後京大の修士課程を出た途端に東大の助手になり、超弦理論の有名人となり若くしてカリフォルニア工科大の教授になった、とのこと。さもありなん、である。

ともあれ私も無事3回生になり、物理系に登録して選んだ課題演習がB1だった。これは単に「相転移」と言う名前に引かれただけだったのだが、ここでガツンとやってくれたのが遠藤裕久先生。私の曖昧だった知識を端的に指摘してくれて、相転移とはどういうものか、その本質を教えて下さった。また当時遠藤研の助手だった田村剛三郎先生には、物性実験とはどういうものか、その神髄を教えてもらったような気がする。この課題演習での実験は泥臭く、高校生の頃に想像していたような華々しい「物理学」とは印象を異にするものだったのだが、しかしむしろ私の進路に対する影響は大きかった。なんせそれまで同級生や先輩と接してきて自分より優秀な人が多いものだなー、と感じていて、当初の志望だった素粒子論や宇宙論なんて無理かも、と思っていた矢先である。自分に向いているのは理論よりも物性実験かも知れない。そんな方向性を決定づけてくれたのが、このB1での半年間の経験だった。(因みに後期の課題演習はA3を選択してそれはそれで面白かったのだが、電気回路とプログラミングのプロみたいな人〜外川浩章君とか〜でないとやって行けない世界だな、と思って高エネルギー実験の道を諦めるきっかけになった。)

そんなわけで4回生の課題演習では物理学第一教室の浅井研究室を選び、X線回折と電子顕微鏡について学んだ。そして十分に準備して大学院入試に臨んだものの残念ながら面接で落とされ(今でも覚えているのだが、物一の面接に進んだ19人の中で落とされたのは3人だけだった)、たまたま受けた(確か友達が受ける、と言ったからつきあいで受けたのだったと思う)阪大基礎工への進学、と言う道を選択せざるをえなくなる。しかし後から考えると、この転換点は私の「研究者への道」にとっては非常に大きなものだったようだ。

阪大基礎工の大学院に進学した理由は、もちろん京大に落ちてそこしか行くところがなかったからなのだが、それよりも院試に落ちた直後に浅井先生に相談に行った時に「あなたは阪大に行きなさい」と言われたのが決定的だった。浅井先生と他に話をした記憶はほとんど残っていないのだが、この冷たい宣告(と、当時は思った)は非常に印象的で、これを聞いて私は「いずれ京大を見返してやるぞ」と思ったものだった。とは言え「相転移」をメインテーマにしたいと思っていた私にとっては、実は京大理よりも阪大基礎工の方が適していた、と言うのは後から分かったこと。そう言う意味では、浅井先生の忠告は極めて適切だった、と言わざるをえない。

因みにその浅井研での課題研究でやったこと、と言えば、同級生の川口昭夫君と一緒にエイコサンの結晶を走査電子顕微鏡で見て、その写真を撮っただけだった。京大理学部の伝統のおかげで卒論を書くこともなく(つまり「研究」の名には値しない)課題研究の単位をもらい、高校の理科教員の資格ももらって、学ぶことの多かった京都の4年間を無事終えて大阪に移ることになった。

次へ