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非等方インフレーション宇宙ー高次元時空の探求ー

    

早田次郎

京都大学大学院理学研究科准教授

早田次郎

 

量子ゆらぎはすべての源

  宇宙には、星や銀河、銀河団といった豊かな構造があることはよく知られています。このような美しい構造はどのようにしてできたのでしょうか?宇宙が誕生したばかりの頃、宇宙を満たす物質の密度に僅かなゆらぎがあって、そのゆらぎが重力によって成長して銀河ができたというのが通説です。そうだとすると、その最初のゆらぎがどのようにして生まれたかが気になります。1980年、この問題の答えを与えることになるインフレーション理論が、我々の先輩である佐藤勝彦博士やアラン・グース博士らによって提唱されました。インフレーション理論は、この豊かな宇宙の構造が宇宙初期の量子ゆらぎからつくられたと予言しています。量子力学は素粒子などのミクロな世界を記述する理論です。そこでは、けっして消せないゆらぎがあります。それが量子ゆらぎです。この量子ゆらぎが宇宙膨張で引き延ばされて密度ゆらぎへ転化したというのです。

宇宙望遠鏡でミクロを探る

  このように宇宙というマクロな世界の構造が素粒子というミクロな世界と結びつく理由は宇宙が膨張しているからです。現在、こんなに大きな宇宙も、大昔は素粒子と同じくらいに小さかったと考えられていて、そのころに起きたことが現在の我々の宇宙の構造の起源となっているのです。では、銀河を眺めれば素粒子の世界のことが分かるのでしょうか?残念ながら、それだけでは情報が少なすぎます。我々は、できるだけ昔の情報を集めて素粒子の世界のことを知りたいと思っています。いったいどうやったら、昔の宇宙の情報を得ることができるでしょうか?望遠鏡を使えばよいというのがその答えです。望遠鏡で遠くを見るというのは、昔の光を見ること,したがって,昔の宇宙を見ていることになるのです。それはまた、小さかった時代の宇宙を見ることを意味しています。つまり、望遠鏡は超高性能顕微鏡の役割を果たすのです。現在、最も遠くを見ることのできる望遠鏡は、宇宙マイクロ波背景放射観測衛星です。宇宙には130億年前の熱かった時代の名残である電磁波が満ちていて、宇宙マイクロ波背景放射(CMB)と呼ばれています。この電磁波を観測することでミクロな素粒子の世界を探ることが我々の研究の目的です。

CMBによるインフレーション理論の検証

CMBは、宇宙のどの方向を見ても、一定温度約2.7Kに対応するエネルギー分布をしています。しかし、上で述べたように、インフレーション理論が正しければ、宇宙マイクロ波背景放射の温度もゆらいでいなければなりません。もう少し詳しく説明しましょう。インフレーション時期には、宇宙はほぼ一定の膨張張率で加速膨張し、空間の2点間の距離は時間とともに



のように指数関数的に増大します。標準的なインフレーション理論では,この膨張はインフラトンと呼ばれるスカラー場のポテンシャルエネルギーによって引き起こされます。インフラトンが振動し始めると、この加速的な膨張は終わり、インフラトンのエネルギーが熱に転化されて、熱いビッグ・バン宇宙が生まれます。このインフレーション終了の際に面白いことがおきます。インフラトンが量子力学的にゆらいでいるため、場所ごとにインフレーションの終わる時間に僅かな違いが生じます。インフレーションが早く終わると、エネルギーが早くから減少するため、エネルギー密度が小さくなります。逆に、遅く終わるとエネルギー密度は大きくなります。このエネルギーのばらつきがどのように起きるかは素粒子の世界の法則で決まってしまいます。そして、そのばらつきは、CMBに温度のゆらぎという形で刻み込まれるのです。実際に、このゆらぎは、1992年にCOBE衛星によって観測され、さらに2003年のWMAP衛星による観測で決定的となりました。インフレーション理論が大成功した証しです。今では、CMB観測衛星は、素粒子の世界を覗く強力な武器となっています。

  具体的に、CMBの観測から素粒子物理のどんな情報を、どのように取り出すかは大きな問題です。究極理論探査を目指す我々が最も知りたかった情報は、空間の次元です。超弦理論が予言するように、宇宙が本当に高次元なのかどうかです。もちろん、我々が現在住んでいる宇宙は、見かけは4次元です。したがって,高次元のうちの余分な次元が小さく丸まって、見えなくなっていなければなりません。我々の研究の成果は、この隠れた高次元時空を観るための手がかりを見つけたことです。

非等方インフレーション

  我々が特に注目したのは力を媒介するゲージ場の運動項の係数です。この係数は低エネルギーの標準理論では電荷に対応するもので定数となります.しかし,超弦理論のような高次元理論では、この係数がスカラー場に依存した関数となり、その関数形は高次元の宇宙が4次元の宇宙へとコンパクト化される過程で完全に決まります。そして、このスカラー場がインフラトンであることが期待されています。我々が発見したことは、この係数がインフレーションを引き起こす場であるインフラトンの関数である場合には、インフレーション中の膨張が非等方的になるということでした。この非等方インフレーションでは、2点間の距離は



のように、方向によって異なる速さで膨張します。非等方的な膨張の度合いがで表されています。もちろん、と比べて十分小さいことが示されます[1]。したがって、宇宙は依然としてすべての方向に膨張しますが,膨張の速度は方向により異なることになります。大切なことは、この非等方的な膨張が宇宙マイクロ波背景放射にはっきりとした痕跡を残すことです[2]。

  非等方インフレーションが起きる理由は簡単です。通常,ゲージ場の強度は膨張宇宙では減少します.このため,ゲージ場は量子ゆらぎにより生成されても膨張と共に急速に消えてゆきます.ところが,ゲージ場がインラトンと結合していると,この宇宙膨張による減衰が抑制されるのです。ゲージ場はベクトル場なので、ゼロでない限り特別な方向を向いています。このため,ゆらぎから生成されたゲージ場がその方向に張力を生み出し、ゲージ場の向いている方向の宇宙膨張を妨げてしまいます。結果として、非等方的な宇宙膨張が起きるのです。もちろんゲージ場の強度が強すぎると、インフレーションが早く終わってしまい観測と矛盾します。面白いことに、インフラトンとの結合がゲージ場の強度をちょうど良い大きさに調整してくれているということも分かりました。このような事実が長い間発見されなかったのは、ホーキング博士らによって提唱された宇宙ノーヘア予想の影響が強かったからだと推測されます。宇宙ノーヘア予想というのは、宇宙項があるときにはあらゆる非等方性が急速に消えてしまい、等方的に膨張するド・ジッター宇宙に近づいていくという予想です。インフラトンのポテンシャルエネルギーが宇宙項と同じような役割を果たしているので、宇宙ノーヘア予想がインフレーションでも成立するものとずっと信じられていました。我々の発見は、この宇宙ノーヘア予想による偏見を取り除いたのです。

CMBに刻印された高次元時空の証

  さて、非等方インフレーションは宇宙マイクロ波背景放射にどのような痕跡を残すのでしょうか?まず、宇宙マイクロ波背景放射の温度ゆらぎや原始的重力波(インフレーション時に時空構造の量子ゆらぎから生み出される重力波)に非等方性が現れることが分かります。それは、インフレーション中につくられるゆらぎの振幅が宇宙膨張率と共に大きくなることから理解できます。すなわち,膨張率の小さい方向に伝わるゆらぎの振幅が,膨張率の大きい方向に伝わるゆらぎの振幅より小さくなってしまいます。こうして、ゆらぎの分布に非等方性が現れます。このようなゆらぎの非等方性を示唆するような観測的な証拠もいくつか指摘されていて、非等方インフレーションはそのような観測を説明するという観点からも興味深い現象です。もう一つの重要な効果は、温度ゆらぎと原始的重力波の間に相関が生まれることです。これは、等方的に膨張するインフレーション宇宙では決して起こりえないことです。この相関は、宇宙マイクロ波背景放射の温度と偏光の相関として観測することができます。図の赤とFig_Soda1緑の実線が、我々の理論的な予言です[3]。右手系と左手系の入れ替えと回転に対する対称性が、両方とも存在するような通常のインフレーション理論であれば、これは完全にゼロとなるべき量です。非等方インフレーションの場合には、回転対称性が存在しないので、宇宙マイクロ波背景放射の温度と偏光のゼロでない相関が生まれます。したがって、もしもこのような相関が宇宙背景放射観測で確認されたならば、それは非等方インフレーションが起きたということを強く示唆しています。さらに、我々の理論では、この相関の強さと重力波の非等方性にモデルに依存しない関係が存在することも予言されていて、非等方インフレーションが現実に起きたかどうかを観測的に確定することを可能にしています。先ほど述べた理由から、非等方インフレーションの存在は、高次元の宇宙があるということを強く示唆しています。非等方インフレーションが観測的に実証されれば、観測の精度を上げていくことで高次元空間に関する具体的な情報を取り出すこともできるはずです。

  我々の研究はまだ始まったばかりで、実際に宇宙のコンパクト化の様子を定量的に知る方法については、これからの課題です。しかし、いつか、宇宙マイクロ波背景放射の観測によって高次元宇宙を観ることができる日が来ると期待しています。



参考文献

[1] M.Watanabe, S.Kanno and J.Soda, 
``Inflationary Universe with Anisotropic Hair''  
Phys.Rev.Lett.102,191302 (2009). [arXiv:0902.2833]
[2] M.Watanabe, S.Kanno and J.Soda,`
``The Nature of Primordial Fluctuations from Anisotropic Inflation,''
Prog.Theor.Phys.123,1041 (2010). [arXiv: 1003.0056]
[3] M.Watanabe, S.Kanno and J.Soda, 
``Imprints of Anisotropic Inflation on the Cosmic Microwave Background,''  
Mon.Not.Roy.Astron.Soc. 412, L83 (2011). [arXiv:1011.3604]
[4] Jiro Soda,
``Statistical Anisotropy from Anisotropic Inflation"
Class. Quant. Grav.29, 083001 (2012). [arXiv:1201.6434]